遙かなる甲子園的劇情簡介 · · · · · ·
聴覚障害児のために建てられた「北城ろう學校」を舞臺に、そこで野球に熱い夢を賭ける生徒と教師の姿を感動的に描く。
昭和39年、アメリカで猛威をふるった風しんは沖縄にも及び、風しんにかかった妊婦から數多くの聴覚障害児が誕生した。それから15年後、彼らのための中等部・高等部の6年限りの存在で北城ろう學校が開設された。その生徒の一人、真壁敏夫は中等部3年の夏、甲子園に高校野球を観戦しに行った時、大きな感動を體験した。熱闘の中で、聞こえないはずの音を感じたのだ。僕も野球をやりたい、もう一度甲子園でこの音をグランドの中から聞きたい!そう決心した敏夫は、高等部始業式の日、生徒を代表して新城教諭に野球部設立のお願いをした。新城と校長の知念は、初めて自発的になった彼らの気持ちを受け止めようと、周囲の反対にあいながらも、野球部を誕生させたのだった。しかし、大きな壁が待ち受けていた。日本學生野球憲章にろう學校の高野連加盟は不可能という條項があったのだった。これでは他校と練習試合すら出來ない。しかし、高野連は試験試合を見て加盟を判斷するとした。その試合は大差のコールド負けだったが、加盟を認められ、女子マネージャーも加わった北城ろう學校野球部は本格的に動き出したのだった。そして高校最後の年。この頃になると、就職に不安を持ち、野球を続けることに反対する親も出てきた。それは思うように勝てず挫折を味わっていた部員にも影響し、心は野球から離れる者も出てくるのだった。そこで敏夫は琉球高校との合同練習を考え出した。レベルの高い琉球高校の猛烈な練習と闘誌に北城のナインの心も燃え、わだかまりはふっ切れて行った。そして、北城最後の公式戦となる夏の全國高校野球大會・沖縄県予選の日となった。そして、試合は接戦となり北城ろう學校野球部公式戦初勝利の夢をのせ、決戦を繰り広げるが敗れてしまう。しかし、北城ナインたちは力一杯戦った爽快感を全身で感じていたのだった。